もちろん、この「大丈夫」は「何も起きません」という意味ではありません。病気が進めば、一時的に痛みや息苦しさが出ることもあります。食べられなくなることもあります。それでも何かあれば医療者が対応する。家族だけに判断や責任を背負わせない。その体制まで含めての「大丈夫」なのです。
実は、古澤さんと娘さんも、「家で最期を」と望みながら、病院での説明に心が揺れていました。初回の診察で、苦しさへの対応も介護の支援も“しろひげ”が引き受けると伝えると、娘さんは「それなら安心です」と安堵したのか、涙を流されました。
そして、自宅で過ごした時間のなかに、「ああ、生きてる気がする」という古澤さんの言葉が生まれました。桜を見ながら交わした、「来年もまた一緒に見たいね」「そうだね」という親子の会話もありました。
古澤さんが家で過ごした時間は、長いものではありませんでしたが、命の長さだけでは測ることのできない、その人がその人として生きた時間が、そこにはありました。
それが、筆者の考える「人生の延命」です。
悲しみのなかにもあった笑顔
古澤さんの看取りのとき、家族と“しろひげ”のチームが集まり、桜を見に行った日の思い出を語り合いました。皆で古澤さんを囲んで写真を撮りました。悲しみのなかにも笑顔があり、ご本人も微笑んでいるように、筆者には見えました。
筆者らが関わったがん終末期の患者さんの中には、いつでも緩和ケア病棟に入れるようにと登録をすませていた方もいます。それでも、実際には85%以上の方が緩和ケア病棟ではなく、自宅で最期を迎えられています。
もちろん、誰にとっても自宅が最善だというわけではありません。施設でにぎやかに暮らすことに幸せを感じる人もいるでしょうし、病院で医療を受け続けることに安心を感じる人もいます。大切なのは、自宅という選択肢が「無理だろう」という思い込みだけで消えてしまわないこと。


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