注目したいのは、同じ人が、同じ行動を、別の物差しで測っていることだ。自分がパックのまま出すか、皿に移すかは、「普段の食事か、良い肉の日か」という状況の話になる。板野さんがそうすると、「発想がない」という人柄の話になる。
これは投稿者を責めたいのではない。誰の脳にも起きるクセだ。前出の記事が伝えるように、今回は「うちもパックのまま」という声が多数を占めながら、一方で「育ち」という言葉が飛び出した。一見ちぐはぐなこの反応は、こうしたクセで説明できそうだ。
カメラは「状況」を映さない
では、なぜ物差しが切り替わるのか。カギは「何が目に入っているか」、つまり見た目にある。
自分が食卓を整えるとき、目に入っているのは状況のほうだ。シンクにたまった洗い物、子どもの寝る時間、仕事終わりの疲れ。だから「パックのままにしよう」という判断も、状況のせいとして自然に理解できる。
一方、他人を見るとき、視界の中心にあるのは「その人」だ。状況は背景に退く。
このことを示した有名な実験がある。2人の会話をビデオに撮る。そして、当事者には相手側のカメラから見た自分の映像を、観察者には当事者の目線から撮った映像を見せた。すると、行動の原因を状況に求めるか、人柄に求めるかの傾向が逆転したのだ(※6)。
人は、目に入るものを「原因」と見なしやすい。どちらの見方をするかは、性格よりも視点で決まる部分が大きいということだ。


※ログイン後、コメント入力が可能です。