もっとも、そんな思い出のご飯ですら常に与えられていたわけではなかった。外に働きに出ていた母がいつ帰ってくるのかもよく分からないまま、グゥグゥと音を立てるお腹を抑えて過ごしていた。
当然ながら、劣悪な環境は小学生になってからも変わらなかった。
給食のおかげで餓死を免れ、生き延びられた幼少期
筆者はとにかく発達が遅い子どもだった。ネグレクトを受けていたので、育つものも育たなかったのだと思う。足し算はできても引き算は分からなかったし、右と左がどっちなのか分かっていなかったのを覚えている。とにかく担任が怖くて、毎日怯えながら周りを見て合わせようと必死だったのだ。
ある日の朝、筆者と兄が起きたら午前10時を回っていた。遅刻だ。慌てて準備をして、ランドセルを背負って家を飛び出した。当時の筆者たちが起きた時点で母は家にいなかった。なんなら、帰って来ていたのかすら怪しいほどだ。
まともに朝ご飯を食べたことなどなく、筆者と兄は毎日お腹を空かせて学校へ通っていた。学校までは徒歩15分。怖い担任に怒られるのが怖くて、必死に走って時間を短縮した。それでも遅刻は遅刻だ。恐る恐る教室に行くと、意外にも優しい顔で迎えられた。
「なんで遅刻したん?」
「……」
答えられなかった。正直に寝坊したと言えば怒られると思ったのだ。オロオロする筆者に対し、なんと担任が助け舟を出してくれた。
「お腹痛かったん?」
「う、うん!」
助かったとばかりに大きく頷いた。そのまま席に着くように言われ、たった2時間の授業を受けてからありつけた給食は涙が出るほどおいしかった。
よく考えれば、学校側もネグレクトを把握していたのだろう。親からの連絡が一切ないまま現れない子どもたちを、きっと心配してくれていたのだ。
そんな給食でどうにか命をつないでいた筆者は、いうまでもなく学年で最も背が低い子どもだった。前ならえをするとき、先頭なのが嫌だったのを覚えている。だが、気まぐれに学校行事にやってきた母は、そんな筆者を見て「見つけやすいけえ、一番前で良かったわ」と笑っていた。


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