野中 まず、日本には共通善の意識が根付いています。存在目的を示す「パーパス」は、組織や関係者をWhyという意味のネットワークで一枚岩にします。もちろんお題目にならないように現実のなかで絶えず意味づけする必要があります。次に、共感を媒介にした「知的コンバット」。私は知識創造を組織的に行なうイノベーションプロセスとして「SECIモデル」を考え出しました。
これはまず、共感から始まるんですね。現場の直接経験のただなかで、まずは相手に共感する。ただそこで終わらずに、対話を通して集合的に本質をつかむ。日本企業には、古くはQCサークル、ホンダの「ワイガヤ」や京セラの「コンパ」のような、現場で異なる経験をもつ者同士が、徹底的に議論する場がありました。忖度なく主観をぶつけ合うなかで、組織として「こうとしか言えない」という本質にたどり着く。共通善を実現するのは生半可ではないんですよ。どうしても生き方、哲学の話になっていきますから。
直接経験や身体性を重んじない経営学者の理論は、空虚
岩尾 まずは、個々が「生きる」ことに正面から向き合う。そうすれば、当然、知的コンバットが起きるというわけですね。
野中 そのとおり。最後に、「ミドル・アップダウンによる自律分散組織」というのがあります。トップがもつ理想や大局観と、現場が直面する現実をつなぎ、全員経営を可能にするのは、ミドルです。日本企業のミドルは、プロジェクトリーダーを含めて、スクラムを組んで知を結集する連結点となって、新たな意味や価値を自律分散的に生み出してきました。
この理論化には、私自身が新卒で勤めた富士電機での、ミドルとしての経験が生きています。
会社員時代、私は人事、組合、工場、事故処理担当まで経験し、現場・現物・現実に向き合いながら必死に働きました。あのころは、多くの人がそうだったんじゃないかな。そうしたら「ジャパンアズナンバーワン」なんて言われて。
そのなかでアメリカの経営管理理論を知り、率直に「さすが、うまいことを言うな」と思いました。同時に、「このままではまた日本はアメリカに負ける」と、危機感を抱きました。当時、日本企業はトヨタ自動車を筆頭に、現場教育の積み重ねで高い生産性を上げて世界から注目されていましたが、日本の経営学者はそれを概念として世界に示せていなかったのです。

