明治30(1897)年、山口県岩国に生まれた宇野千代。家では父が絶対的な存在として君臨し、千代は雑誌や新聞を読むことさえ禁じられて育った(前回記事「【朝ドラ《ブラッサム》「父の死がうれしかった」涙を流しながらも15歳の宇野千代が抱いた"正直な思い"】」参照)。
もっとも、それは千代の家だけが特別だったわけではない。女性が自分の意思で学び、人前に出ることは、まだ「はしたない」とされた時代である。
千代がまだ10歳の少女だった明治41(1908)年、そんな時代の空気をよく表す事件が東京で起きている。日本で初めての全国規模の「ミスコン」をめぐる騒動だ。
美人コンテストが開催される
ことの発端は、時事新報社が明治41(1908)年、美人コンテストを実施したことにあった。当然のことながら、これも欧米の影響であり、アメリカの『シカゴ・トリビューン』紙が世界美人コンテストを企画。それに時事新報社が乗っかったかたちとなった。
ちなみに、混同されやすいが、日本初の美人コンテストは、それより10年以上前、明治24(1891)年に実施されている。東京浅草の凌雲閣で行われた「百美人」の催しである。
ただし、このときは審査対象が芸者に限られており、4階から7階にかけて展示された100人の芸者の写真から、見学者が投票して順位を決めるというもの。そのため、一般公募による美人コンテストは、この時事新報社のものが日本で初めてということになる。
明治41(1908)年2月29日、最終審査となる第2次審査が行われた。第3位までに選ばれたのが、次の3人である。


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