朝、起きると、先ずお風呂に入るの。そのお風呂場というのが、壹番館の隣のときは、建物の一階の入口を入ってすぐのところにあるんですからねぇ。おかしな社でしょ。
それから数寄屋橋の角に寄ったほうにあったアーデンさんの美容院に行って髪を結ってもらって……。あの時分は毎日、“ニュールック”の洋装でしたねぇ。人が振り返って見るような派手な服装(なり)をしてたというんだけれども……いまになってみると自分が洋服を着ていたことさえ朧(おぼろ)げで、どんな服だったかなんて思い出せないのよ。でも、とにかく、流行の最先端だったことには間違いありません。
訪問記――いまでいうインタビュー記事も書いたし、お洒落のこと、恋愛のこと、何でも書いた。モデルもして、デザインもして。
編集の一番の親玉は、あの人
編集の一番の親玉は、そりゃあ北原(武夫)ですよ。なんでもあの人が考えついて、あの人が決めて。さぁ……編集会議というのがあったでしょうか、思い出せませんねぇ。
とにかく北原という人は、ありとあらゆるプランを思いつくのよ。いろんな名前でね、ほとんどあの人が原稿を書いちゃうの。
『スタイル』という題名は、わたしが考えついたのかもしれないなぁ……。スマイルという目薬が、とってもよく売れていたので、それをもじってつけた、なんていう話もありますね。
もう一つ、『文體(ぶんたい)』という、これは純文学の雑誌を出していたんだけれども、それと同じ意味ということもあって『スタイル』にしたのね。
戦后に『スタイル』が復刊したのが昭和二十一年でしょう。
一時は『スタイル』も凄く売れたけれど、ほんの、アッという間でしたね。あれからずっと、会社を潰さないでやっていたら……きっとそうなっていたら、文学はやれなかったでしょうからね、あれでよかったのかもしれないわ。
戦后すぐは雑誌を出すための紙が無くて、その手当が大変だったのよ。わたしのところは、水野成夫(しげお)さんという偉い実業家が、紙を回す手配をしてくれて、そのおかげで『スタイル』が復刊できたの。


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