わたしは、土着するという気持がとてもとても好きで、それは責任のある仕事のできる土地でなければね。
ところが実際はわたしは、ある日男と別れてパッと家を移ってしまったり、土着できないで生きてきたの。家を建てたい、と思う気持も土着するということと繫がるんでしょうね。
人も場所も、好きだ、と思ってしまったときにはその気持を抑えるなんていうことはできません。気が変わることが悪徳だとは思うけれど、変わるのは抑えられない。
ほんとうにわたしは、蝶々、蜻蛉(とんぼ)と同じなんです、本能の通りに気持が動いてしまうの。気がついてみると別の人が好きになっているのね。その人のそばにいると片方の腕だけがふくらんで熱いような気がしてしまう、そんなことがいまでもあります。
けどね、結局のところ、わたしは東京が好き。しょっちゅう家を建てたくなって、那須にはほんとうに建てもしたけれど、東京のほうが原稿が書けるのよ。
昔、伊豆の湯ヶ島に原稿を書きによく行っていたけれど、あの頃は文士がみなそうしたの。滞在していてもあまり書けませんでしたね。
わたしは女性雑誌のパイオニア
『スタイル』が創刊したのは戦前。わたしの四谷大番町の仕事場に先ず看板を掲げたんです。戦争で休刊になって、復刊したのが昭和二十一年。それからずっと銀座。あとで木挽(こびき)町に移りましたけれども。
『スタイル』がやっていたことは、いまの雑誌ぜーんぶの原点でしたよ。みいんながいろんな形で『スタイル』を真似したの。
そう、わたしは女の雑誌の大先輩ですよ。
わたしも毎朝きちんと出社しましたよ。だって、社の中に住んでいるんですもの。
わたしは嬉しくて面白くて、毎日喜び勇んで編集部に上って行きました。


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