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ビジネス #消滅寸前ビジネス

100均にもあるのに「1箱500円」…稼ぎ頭を売って《売上25億→5億、市場100分の1》の「マッチ」を残した老舗5代目の"賭け"

14分で読める
日東社 ブルーラベルマッチ
1年の歳月をかけ、初めて自社オリジナルブランドとして開発した「ブルーラベルマッチ」(写真:日東社)
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2021年の製造量は、わずか25マッチトン。ピーク時から実に450分の1以下(約0.21%)と、激減した。

兵庫県姫路市にある1900(明治33)年創業のマッチメーカー日東社でも、ブックマッチの受注が落ち込み、製造機は老朽化。もはやメンテナンス費用や運転コストのほうが上回っていた。しかも、その機械は「日本国内に残る最後の1台」だった。

2022年7月21日。ブックマッチの製造が終わり、約49年の歴史に幕が下りる。一つの文化が終わりを告げた瞬間だった。

「寂しいですよね……」と当時を振り返るのは、日東社の専務取締役を務める大西潤さん(34)。

5代目として会社を継ぐ立場にある大西さんは、同時期、会社の命運を左右する決断とも向き合っていた。

株式会社日東社 5代目専務取締役 大西潤さん(34)(写真:筆者撮影)

廃業した同業2社から「意匠」を託された

日本は、スウェーデン、アメリカと並ぶ三大マッチ生産国の一つであり、明治期から日本の輸出産業に貢献してきた。先述したとおりマッチは、昭和の時代、喫茶店やスナック、金融機関のカウンターに置かれて気軽に持ち帰れるものだった。

しかし、1973年をピークにその需要は落ち込んでいく。日東社も時代の流れにあらがえず、マッチ製造は年々縮小し、長らく赤字事業の状態が続いていた。

日東社の社屋(写真:筆者撮影)

「もうマッチの製造を続けられない――」

同業他社も同じように需要減の苦境にあえぎ、次々廃業していった。

桃、燕(つばめ)、象、パイプ――。これらは、昭和や平成を生きた人なら、きっと誰もが一度は目にしたことがあるマッチ箱の意匠だ。廃業する会社であっても、マッチの顔であり看板商品であるデザインまでも自ら捨ててしまうのは、事業の誇りまでも失ってしまうような心地だったのではないだろうか。

廃業はやむをえない。しかし顧客、職人や従業員、そして意匠もどうにか受け入れてもらいたい。その行き先として彼らが頼ったのが、日東社だった。

日東社が現在製造しているマッチ箱の意匠は7種類(写真:筆者撮影)

「祖父(3代目大西壬(あきら)さん)が業界団体の代表を務めていたこともあり、日東社は業界内での信頼がとても厚かったんです。事業を畳む決断をした同業者の方々から『うちの代わりにマッチの歴史をつないでほしい』と、長年愛されてきたデザインとともに事業そのものを託されたと聞いています」(大西さん)

2012年から2017年にかけて、2社の意匠を受け継ぎ、その他複数社のOEMや従業員を受け入れた。意匠を受け継ぐことは、かつて日本の産業を支えたマッチメーカーたちの思いや誇り、その未来を背負うことでもあった。そして、販売先への適正価格への交渉を重ねた結果、マッチ事業は次第に黒字化を果たした。

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