日本人や韓国人は幸福を感じにくい
橘玲より ソ・ウングクさまへ
ご著書『幸福について世界でいちばん冷酷なお知らせ』に解説を書かせていただく機会をいただき、光栄です。ここでは、私が最近考えていることについて、ソさんのご意見をお伺いできればと思います。
ご著書でも述べられているように、日本人や韓国人が幸福を感じにくいのは、遺伝的に内向的で神経症傾向が高いからだとすると、そもそも幸福を目指すことに意味があるのでしょうか? これもご著者で指摘されていますが、幸福(eudaimonia)を最高善としたのはアリストテレスで、わたしたちが幸福を目指すようになったのは西欧の価値観を受け入れたからです。
日本では、明治維新以前は「幸福」は漢語で「運がよいこと」、「しあわせ(仕合わせ)」はめぐり合わせのことで、よいことがあると「めでたい」として祝いましたが、幸福を人生の目標とする発想はありませんでした。
福沢諭吉のような明治の知識人は、happinessをそれまでの日本にはない言葉として、翻訳にすいぶん苦労しました(「福」「吉」「安楽」「福分」などとも訳されました)。
東アジア系が生得的に幸福になりにくいのであれば、幸福を目指すのは「敗者のゲーム」です。そのように考えれば、わたしたちに必要なのは「幸福」という西洋中心主義から解放され、人生の価値をほかのところに見つけることではないでしょうか。



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