ソ・ウングクより 橘玲さまへ
日本だけでなく、西洋を含むほとんどの国においても、長いあいだ幸福とは「偶然に訪れる幸運」のように、個人のコントロールの及ばない概念だと考えられていました。
幸福に対する文化的な呼称や信念によって、その文化圏に暮らす人々の幸福度が決まるわけではありません。おそらく、因果関係はむしろ逆である可能性のほうが高いでしょう。
個人主義と集団主義
日常の経験が個人の肯定的な感情を育むよりもむしろ抑圧し、個人の自由や自己表現よりも家族や集団のために自らを犠牲にすることのほうを称賛する社会(日本や韓国のような超集団主義的文化の特性)で、幸福を感じることは容易ではありません(これは遺伝的特性ではなく、社会・文化・構造的な理由によります)。
それぞれの文化における幸福観とは、そうした現実が反映された暗黙の信念であると私はとらえています。
西洋もかつては東洋と似ていましたが(西洋でも中世においては、幸福とは「神の贈り物」であるという消極的な幸福観を持っていました)、おそらくルネサンスを経て個人の固有の価値、選択の広がり、自由意志などに対する社会的受容が進んだことで、今日の「個人が成し遂げたこと」に結びついた幸福観が形づくられたのだと考えられます。
もっとも、これが必ずしもよいことばかりとはいえません。幸福がひとえに個人の努力と選択によって左右されると信じ込まれると、不幸の責任もすべて個人へと集中することになります。


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