堀氏が門を叩き、「対応できない」と返された相手が、その日に世界最高峰の評価を受けた。一方の堀氏は、同じ日から自らの睡眠を"証明"する配信を始め、その真偽は最後まで視聴者の目視に委ねられたままだった。研究者は査読と実験で、配信者はカメラとコメント欄で「睡眠」を語る。この絶妙なタイミングでのシンクロに、SNSで"偶然の一致"の声が上がった。
「睡眠」を語ることと「睡眠科学」を語ることは別
ここで着目すべきは、「睡眠について気軽に論じることの危険性」だ。堀氏は「18歳から独自に研究した」と語り、体感をもとに短眠を語る。だが配信を見て「寝ている」「起きている」と判定する視聴者もまた、自分の経験則という体感で語っている。
両者は対立しているようで、実は同じ土俵に立っている。科学的な検証を経ないまま、体感で科学を上書きしている点では変わらない。
睡眠は誰もが毎日経験する。「昨日はよく眠れた」「今日は寝不足だ」と、自分の体感で話せる。その身近さがあるからこそ、他人の映像を見たときにも、自分の経験を物差しにして語りやすい。
そのため映像を見て「眠っているように見える」といった感想を持つことは容易だ。しかしながら、それと科学的なエビデンスは別。私たち一般視聴者のほとんどは、睡眠についての知見を持っておらず、実体験だけで語る。その怖さも同時に考えなくてはならない。「睡眠」を語ることと「睡眠科学」を語ることは別なのだ。
体感の説得力が科学を押しのける。今回の騒動は、その怖さを1週間かけて見せた事例だ。身近な睡眠だからこそ、科学的見地に基づいた有識者の判断が重要と言えるのではないだろうか。


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