本稿で述べている「都市型コミュニティ」の醸成という、人の行動パターンや関係性、集団のあり方に踏み込んだ対応や「気づき」、変容を進めていかなければ、経済の低迷からの脱却も困難なのである。
「見知らぬ者」同士のコミュニケーションが少ない日本
「都市型コミュニティ」に関する日常的な行動レベルの特性について、私は以前の拙著(『コミュニティを問いなおす』等)で、海外に比べて日本の都市では以下のような傾向が顕著であるという指摘を行った。
2)見知らぬ者どうしが道をゆずり合うといったことが稀であり、また、駅などでぶつかったりしても互いに何も言わないことが普通であること
3)「ありがとう」という言葉を他人どうしで使うことが少なく、せいぜい「すみません」といった、謝罪とも感謝ともつかないような言葉がごく限られた範囲で使われること
4)以上のような中で、都市におけるコミュニケーションとしてわずかにあるのが「お金」を介した(店員と客との)やりとりであるが、そこでは店員の側からの声かけが一方通行的に行われ、客の側からの働きかけや応答はごく限られたものであること
以上はまさに、本稿の冒頭で指摘した「無言社会」をめぐる話題とそのまま重なっている。
その時にもふれたが、これらの例は、ある意味では非常に「ささいな」ことであり、大してどうということもない、それを問題視しなければ“深刻な害”があるようなものではないとも言える。
しかしながら、むしろこうした微細な無数の日常的な出来事が、人々の意識の中に深く浸透し、“当たり前”のこととなり、日本社会において、人と人との関係性についてのある種の(ネガティブな)基本了解――人と人との関係とはこういうものなのだという了解――を作り出していると私には思えるのである。
「こういうものなのだ」というのは、互いに「見知らぬ他者に対して閉じている」という態度であり、“無関心”やある種の“不機嫌”さ、さらには潜在的な“敵対性”が支配するような関係性を指している。


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