これらはすべて、農村型コミュニティの「集団が内側に向かって閉じてしまう」という特質から生まれている。言い換えれば、“失われた〇〇年”と呼ばれるような日本経済の停滞も、かなりの部分が都市型コミュニティの未確立によると考えられるのである。
このように、「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」をめぐるテーマが、今の日本が抱える様々な問題の核心にあると私は考えている。
そして「都市型コミュニティ」――個人が独立しながら、集団を超えて(ゆるく)つながるような関係性――の確立こそが、日本が直面している構造的な課題群を改善ないし解決していくカギになると言えるのだ。それは本稿で述べている日本人の「幸福」とも深く関わるのである。
都市型コミュニティの具体的中身
ここで「都市型コミュニティ」的な関係性について、もう少し具体的な内容を考えてみよう。
「個人が独立しながら、集団を超えて(ゆるく)つながる」というのは、雇用や組織との関連で言えば、先ほど述べた「昭和的」な、つまり終身雇用が当たり前で、かつ組織の中でのポジションがその組織にどのくらい長く勤めたかによって規定されるような姿――それはまさに「農村型コミュニティ」としてのカイシャである――とは全く異なっている。
むしろ個人が自らのキャリアの追求のために転職や起業等を行う際のハードルが低く、また個人が異なる組織の間を移動することについて強いマイナス評価を受けることがないようなあり方が、「都市型コミュニティ」的な個人と企業組織の関係性の姿である。
さらに、ここで述べている「都市型コミュニティ」的な関係性とは、いま指摘した会社組織や雇用といった場面にとどまらず、以下に述べるような日常的な人と人の関わりのありようを広く含んでいる。
ポイントとなるのは「ウチとソト」あるいは「身内と他人(よそ者)」の区別という点であり、先述のように「農村型コミュニティ」においてはこれが非常に強くなる。私はこうした点を「集団が内側に向かって閉じる」という表現で論じてきた(拙著『ケアのゆくえ 科学のゆくえ』(2005年)等)。


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