それには理由があって、私は拙著の中で“稲作の遺伝子”と呼んできたのだが(拙著『コミュニティを問いなおす』2009年、等参照)、まさに2000年以上に及ぶ稲作を基盤とする歴史の中で、そうした生産構造にふさわしい行動パターンとして進化してきたのが「農村型コミュニティ」的な関係性だったからである。
つまり稲作の場合、比較的小規模な家族や共同体が単位となって、水の管理などを含めた生産活動に従事する。
そこで得られる生産物(=食糧)の出来・不出来は、メンバーの「生存」を文字通り左右する“死活問題”であり、したがってそこでは生産が滞りなく進んでいくための「同調的」行動が強く求められると同時に、集団のメンバーは基本的に同質的・固定的で、外部との出入りや交流は概して少ない。
こうした構造の中で、それに適応的な行動パターンとして形成されたのが、他ならぬ「農村型コミュニティ」的な関係性だった。
現在の日本と都市型コミュニティ
さらに次の点が重要だ。昭和、とりわけ戦後の高度成長期の日本とは、他でもなく“農村から都市への人口大移動”の時代だったわけだが、都市に移った日本人は、そこで「カイシャ」と「(核)家族」という、都市の中のムラ社会(=農村型コミュニティ)を作っていった。
つまり農村型コミュニティ的な関係性をそのまま都市に持ち込んだのが戦後の日本社会であり、そうしたカイシャや家族が互いに競争しながら高い経済成長を成し遂げていったのが「昭和」の日本だったと言える。
しかしモノと情報があふれる時代となって人々の需要が徐々に飽和し、“モノを作ればすぐ売れる”という時代ではなくなり、経済が成熟化していく中で、そうした好循環は維持できなくなった。
またカイシャも流動化し家族も多様化する中で、「農村型コミュニティ」的な関係性を基盤とする日本社会のありようは、経済面を含めてうまく機能しなくなっている。
いまふれた経済面について言えば、たとえば組織が小さな部門ごとに閉じてタテワリになるとか、事業承継を含めて企業活動や人の新陳代謝がなかなか進まないとか、組織の垣根を越えたオープン・イノベーションのような試みが発展しないといったことは、その典型例として挙げられるだろう。


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