読者はお気づきのとおり、典型的だったのは戦後あるいは高度成長期の日本における「カイシャ」である。
つまり終身雇用のシステムのもとで人々――特に男性――は自らの人生とカイシャをほとんど同一視し、プライベートの時間を含めて人間関係のほとんどはカイシャの内部で完結し、カイシャという組織から離れた自分の姿は想像し難かった。
「都市型コミュニティ」に眠る日本の幸福の伸びしろ
幸福度との関係はどうか。
ここで述べている「都市型コミュニティ」、つまり集団を超えた人と人とのつながりが薄いと、先ほど確認した、幸福度にとって重要でありながら日本において低い要因である「社会的サポート」は自ずと希薄なものになる。
また、個人の行動が集団に拘束される傾向が強いため――それには様々な“しがらみ”も含まれる――、個人が自らの意志で自分の進路を選びとり、進んでいくという「人生の選択における自由度」にも様々な制約が働く。
さらに「寛容性」についても、これは寄附行為などのように自分が属する集団の“外”にいる者への支援を意味しているので、自然と低くなりがちとなる。
このように、日本人の幸福度を下げる要因として挙げられている「(a)社会的サポート、(b)人生の選択における自由度、(c)寛容性」の3者は、いずれも日本社会における「都市型コミュニティ」=「個人が独立しながら、集団を超えて(ゆるく)つながるような関係性」の未成熟と関わっていると考えられるのである。
以上のように述べると、日本の現状あるいは「日本人の幸福」についてのいささかネガティブな議論に響くかもしれない。しかし物事は考えようだ。
つまり逆に言うならば、こうした人と人との関係性を少しずつでも変えていき、ここで論じているような「都市型コミュニティ」を育てていけば、個人一人ひとりのレベルを含めて日本人の幸福感は確実に高まっていくはずだ。単純化して言えば、ちょっとした工夫次第で日本人の幸福の「伸びしろ」は大きいとも言える。
実は冒頭で述べた「ほめられたい日本人」の話もこの点とつながっている。つまり“個人が互いに独立した存在であることをリスペクトしつつ、相手の良い点は積極的に認め、言葉にしてそれを伝え、ポジティブな関係性をつくっていく”というのはまさに「都市型コミュニティ」の関係性なのである。
それは「空気」や「忖度」で動くような関係性とは真逆のものなのだ。


※ログイン後、コメント入力が可能です。