それに単純な話ですが、楽しく読めるものの方が、たくさんの分量に触れることができます。面白いから読む。読むから少し得意になる。得意になるから、もっと読む。この循環の、最初の「面白い」を大人が壊してしまえば、そもそもその循環自体が始まらないのです。
読書は「上」ではなく「横」に広がっていく
大人は、子どもの読書を階段のように考えがちです。
漫画の次は児童文学、その次は一般文芸、さらに新書や古典文学へ——。簡単な本から難しい本へ、少しずつ「上がっていく」ものだと考えます。
しかし、実際の読書は、それほど一直線ではありません。読書は、むしろ横に広がっていくものです。
野球漫画に夢中になった子が、実在の選手の自伝を読む。そこからトレーニングや身体の仕組みに関心を持ち、スポーツ科学の本を開く。
歴史漫画を読んだ子が、特定の武将を好きになり、歴史小説を読む。さらに当時の社会制度や城郭、武器、地理に興味を広げていく。
SF作品から宇宙に興味を持つ子もいれば、恋愛漫画から心理学に関心を持つ子もいます。作品の舞台になった地域を調べ、旅行に行きたくなることもあるでしょう。
親がすべきなのは、子どもを無理やり「上の段」に引っ張り上げることではありません。いま夢中になっている作品から、別の世界へ渡れる橋を、そっと架けてあげることです。
もう一つ、自分が伝えたいことがあります。それは、綺麗なものばかり読んでいても、本当の意味で頭は良くならない、ということです。
「良書」と呼ばれる作品には、確かに素晴らしいものがたくさんあります。しかし、道徳的に整った、キレイに整理された物語だけを摂取していても、人間としての厚みは生まれてきません。
なぜなら、この世界には、綺麗なものだけがあるわけではないからです。エゴイスティックな感情、抑えきれない性欲、矛盾した思い、憤怒、嫉妬、絶望——人間が抱えているのは、そういう「ドロドロした感情」の総体です。
そして、そういう感情を摂取しないことには、逆説的ですが、「正義」や「善」といった価値も、本当の意味では学べないのだと私は思います。


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