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ライフ #再開発されない街

「江戸の将軍に鮮魚を納める猟師町」→「運転免許試験場の街」…多くの都民が「行ったことはあるが知らない」"謎の街"の実態

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鮫洲
運転免許証を持つ都民の多くが知っているあの街はどんなところ?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター
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現在の京急本線の一部区間が開通したのは、1901(明治34)年。1904(明治37)年に北品川まで延伸され、鮫洲駅が開業した。なお鮫洲駅はもともと今より160mほど品川駅寄りにあり、1944(昭和19)年に現在の位置へ移転している。

大正期になると、東海道沿いに商店が増えていった。

1929(昭和4)年に第一京浜が開通。第一京浜は東海道を拡張した道路だが、鮫洲を含む一部区間では新道がつくられ、旧東海道は残された。

運転免許ブームで大賑わい

鮫洲の街が賑わう契機となったのが、海岸の埋め立てと、お馴染みの運転免許試験場の開設である。

先ほども述べたように品川区の海岸線は江戸時代まで旧東海道付近だったが、1935(昭和10)年に東品川2丁目〜東大井1丁目が埋め立てられた。同年12月に運転免許試験場が開設。当時としては非常に大きい試験場であった。

運転免許試験場は、1913(大正2)年ごろに芝浦の埋立地につくられたのが始まりである。1930(昭和5)年には東品川に、より大きなコースを設けて移転していた。

そこから鮫洲に移転してきたことで、鮫洲は大賑わい。1953(昭和28)年の読売新聞は「運転免許ブーム」と見出しを付け、「大井鮫洲の警視庁自動車試験場は毎日平均1300人の受験者で押すな押すなの大繁昌」と伝えている。(『読売新聞』1953年5月17日)

「昭和31年度は免許ブームを現出したのではないかと思わせる状況であった」「一般の人は所在地名の『鮫洲』という愛称?で呼んでおり所在地は知らない人がいない位である」という記述も残されている。(『自警』1957年5月)

自動車ブームを背景に、多数の人々が鮫洲に押し寄せていたのだ。

受験者を狙った商店も続々と進出した。飲食店、旅館、パチンコ店のほか、写真屋、眼鏡屋、受験問題研究所、免許手続きの書類を代筆する代筆屋などが軒を連ねて活況を呈していたという。「同場前の約20軒の代筆屋も大うけ。近くには『合格屋』というのみ屋まで出来て、受かれば乾杯、落ちればヤケ酒組が昼間からあふれている」ような状況だった。(『読売新聞』1956年8月2日)

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