だが、鮫洲に活気をもたらしていた試験場が移転してしまう。1958(昭和33)年に府中に新しく巨大な試験場が完成し順次移転することになり、鮫洲は運転免許試験場支所となった。
1965(昭和40)年には運転免許試験場へ昇格したが、鮫洲と府中の2カ所でも利用者が溢れかえったことから、1984(昭和59)年に江東区にも新設された。
運転免許試験場の新設を受け、鮫洲の商店は数を減らしていった。
2003(平成15)年には産経新聞が、「(前略)商店街の地盤沈下は激しい。通りを歩けば、営業中の店舗よりも商店の原型を残した住宅、いわゆる"しもた屋"の方が多いくらいだ」と、鮫洲商店街の様子を伝えている。(『産経新聞』2003年6月3日)
運転免許試験場を巡る盛衰とともに、鮫洲ではもうひとつ大きな変化があった。東京湾の埋め立ての進行と、漁業の終焉だ。
東京都は1964(昭和39)年の東京オリンピック開催を控え、東京港の埋め立てを進めていた。この埋め立てにより、鮫洲一帯は1962(昭和37)年に漁業権を手放すことになった。鮫洲から漁の景色が消えたのである。
1961(昭和36)年には鮫洲の入江が埋め立てられ、鮫洲運動公園が完成した。
2013(平成25)年には、鮫洲入江広場も整備されている。
ここでかつて漁業が行われていたなんて、知らないと想像もできないような景色になっている。
鮫洲はなぜ再開発されないのか?
鮫洲はかつて猟師町であり、運転免許試験場の街に姿を変え、埋め立てとともに漁場は姿を消していった。
しかしタワマンや高層ビルはなく、昔ながらの商店が残っている街である。
一方、鮫洲から徒歩10分少しであっという間に着く大井町では市街地再開発事業が実施され、大型商業施設や高層ビルが建ち並んでいる。隣り合う街でなぜこのような差が生まれたのか――。続く後編では、大井町との違いから鮫洲が再開発されない理由を紐といていく。


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