鮫洲の由来はさまざまだが、どれも水や海に関係している。なぜなら、この頃は東海道あたりが海岸線だったからだ。
江戸時代の歌川広重の浮世絵「名所江戸百景 南品川鮫洲海岸」には、鮫洲海岸の海苔漁場が描かれている。同じく歌川広重の「東海道五十三次内 品川鮫洲朝之景」では、鮫洲の漁師や海苔採りをする人、「あなご御茶漬」「酒肴品々」と書かれた茶屋を見ることができる。
鮫洲の海苔は品質が良く、御前海苔場に指定され、将軍に献上されていた。このあたりは御林浦とも呼ばれ、江戸の将軍に鮮魚を納める猟師町だったのだ。
漁業の始まりは、徳川初代将軍の頃、駿河の人善兵衛、八兵衛という兄弟が移住して、将軍から鯛網使用を許されて以降漁師が増加した、もしくは1647(正保4)年に駿河国から漁夫仁左衛門の一族が移住して漁業を始めたと言われている。
漁業が行われていた様子は今では見る影もないが、漁師たちの信仰を集めたと言われている鮫洲八幡神社が現存する。
鉄道と国道の開通
江戸時代から賑わった海晏寺は、明治に入って伐採されるまで紅葉の名所だった。門前には会席料理の川崎屋という店があり、繁盛したという。あなごのかば焼きが名物だった。
川崎屋はもう姿を消してしまったが、今でも鮫洲にはあなご天丼ののぼりを掲げる店や、江戸前寿司の老舗が存在する。


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