その商店街を越え、数分歩くと運転免許試験場に到着。このあたりは大きな敷地の建物が多く、目と鼻の先には品川シーサイドの高層ビル群が見える。
運転免許試験場と反対側、鮫洲駅の西口側には第一京浜国道(国道15号)が通っている。片側2車線の幹線道路で、沿道には10階建てくらいのマンションも存在するが、高いビルがぎっしり建ち並ぶような街並みではない。
第一京浜の裏には、大井公園が広がる。公園内では園児たちの明るい声が響き、隣接する小学校からも児童の元気な声が聞こえてきた。
このように鮫洲は、運転免許試験場付近こそ新しさを感じさせるが、駅付近は低層で落ち着きのある街並みとなっている。鮫洲はどのような歴史をたどって、今の姿になったのだろうか。
江戸将軍に鮮魚を納める漁師町
江戸時代から振り返っていこう。
徳川家康が幕府を開くと、品川宿が東海道の第1の宿場と定められた。現在の鮫洲駅は品川宿の南に位置している。
「鮫洲」の地名の由来には、かつて流れていた小さな川を「素水(さめず)川」といった説や、潮が引いたあと砂浜から清水が湧いてくるため「砂水(さみず)」と呼んだ説がある。
なかでも最も広がっているのは、1251(建長3)年に死んだ大鮫が浮き、その腹から海晏寺に祀られている観音像が現れたことによるという説だ。その海晏寺は、紅葉の名所として知られていた。


※ログイン後、コメント入力が可能です。