先日ある国立機関の会議において、盆栽の歴史について調査報告を行ったのだが、質疑応答でこんな質問を受けた。
「文人で盆栽を実践した愛好家にはどんな人がいるのか」
ひょっとしたら、文人と呼べる人物に盆栽愛好家などいないのではないかという、少し意地悪なニュアンスがあったかもしれない。
実のところ少し悩んだのだが、答えはすぐに決まった。大隈重信も捨てがたいが、ここはやはり西園寺公望だろう、と。
会場にならんだ碩学の面々も、西園寺の名にはなるほどと頷いた。西園寺は中国の士大夫に劣らない超一流の政治家であり、また超一流の文人でもあったからである。
西園寺公望にまつわる「超一流」な逸話
西園寺は右大臣であった徳大寺公純の次男として生まれ、西園寺家に養子に入った。
徳大寺家も西園寺家も公家の名門であるが、公望はそれ以上に凄い血筋を持っている。七代遡れば鷹司家を介して東山天皇にたどり着くので、天皇家の男系子孫である。
また公家は和歌を詠むというイメージが強いが、実は漢文の素養も必須であり、特に西園寺には恐るべき逸話がある。
明治天皇が崩御する際、大学教授や宮内省の学者が出してきた元号の案に対し、何も見ないで「中国に先例がある」と指摘し、二度にわたり突き返したのである。
また西園寺は美食家としても有名である。
天皇の料理番として知られる秋山徳蔵が、西園寺を訪問する際に生きたうなぎを持参した。それを住み込みの料理人に調理させて食べた翌日、西園寺は秋山にこう確かめた。
「秋山、あのうなぎはほんとうに大和田のか」
秋山も特上の天然うなぎを持参したのだが、つい六本木の名店「大和田」で買ったと、盛って説明してしまったとのことである。大和田はうなぎの品質管理に定評のある店であった。秋山は後日、あれほどの舌の持ち主はいなかったと讃嘆している。
そして西園寺は、政界においても偉人であった。
藩閥政治から政党政治に移行する際、伊藤博文の後継者として立憲政友会を率いたのが西園寺である。
その後、二度にわたって内閣総理大臣となり、後には天皇を輔弼する「元勲」となった。いわば総理大臣を決める立場にある、政界の最高位である。
静岡市の興津に隠棲しても、政治家や官僚が最終的な意思決定のために「興津詣で」をしたのは有名である。
小松左京の小説『日本沈没』では、伊豆に隠棲した老人が日本政界の黒幕として登場するが、これも西園寺がモデルと言われる。
そんなスーパーエリートの西園寺が、国家の命運を肩に背負いながら、余暇には盆栽を楽しんでいた。

