その様子は自伝の『陶庵随筆』に描かれており、盆栽の手入れをはじめると夢中になってしまい、来客が来ても気づかなかったそうである。
来客もあまりの熱中ぶりに呆れたそうだが、ここに趣味としての盆栽の本質がある。
盆栽は生きた樹木を相手にしながら、人間の心を自由の境涯へと解放する楽しみなのである。
そんな盆栽趣味は、明治期から昭和戦前期にかけて、政界、財界を席捲した。政界では先に挙げた大隈重信や伊東巳代治、財界では岩崎弥之助や郷誠之助といった巨人たちの名前が並ぶ。
そして戦後も盆栽界は政界と結びついており、岸信介や鳩山一郎、近年では河野洋平へと継承されていった。
こうした前提を知ると、むしろ戦後のサラリーマンたちが盆栽をたしなんだのは、上流文化への憧れがあったことがわかるだろう。
日清戦争が盆栽界にもたらした変化
ただし私に言わせれば、近代の盆栽界には大きな変化があった。
明治28年(1895)に日清戦争に勝利した結果、中国への憧憬がなくなり、盆栽は代わりに「自然」という言葉を重視するようになった。
山奥で小さな姿のまま歳月を経た樹を探して採取し、人間には作り出せない、複雑な形を尊ぶようになっていく。
そして昭和9年(1934)に「国風盆栽展」がスタートし、盆栽界は公募展形式を取り入れていく。
これにより盆栽の良し悪しを決める審査基準が決まっていき、次第に美意識が単調になっていった面もある。
私自身、盆栽の見方について、これまで何度か原稿を書いてきたが、平成22年(2010)にさいたま市大宮盆栽美術館が開館した時に学芸員として盆栽に接した頃と現在とでは、盆栽の見方も随分と変わってきた。
確かに最初は、見た目が豪華な盆栽、あるいは奇抜な姿をした盆栽に目を引かれた。こうした樹は一見すると面白く、また分かりやすいのだが、しかしだんだんと見飽きてくるのである。
むしろ最近は、人に問いかける、あるいは考えさせる盆栽を良いと思うようになってきた。
そして自らの成長とともに見方が変わっても、そのたびに違った魅力を教えてくれるのが本当の名品である。
今回刊行の運びとなった『教養としての盆栽』では、私がこれぞと思う盆栽の写真を多数掲載することができた。
特に皇居の盆栽は、戦前の高雅な盆栽趣味の香りを残していて、実に見応えがある。
盆栽の鑑賞のポイントを知って、教養人たちを虜にしてきたその魅力を感じていただければ幸いである。

