つまり本人にとって、タイ視察時の24年1月時点の自分はすでに「更新済みの過去」だった可能性がある。ところが、写真を見る側はその心理的な距離を共有していない。前述した通り、目の前の1枚を、そのまま「今の大田県議」として処理してしまう。
この非対称性こそが、「なぜ3年近くも公にされなかったのか」「なぜ今さら謝罪なのか」という違和感を生み出した一因と考えられる。
積み重なった「不信」という土壌
もっとも、この1枚の写真だけが炎上の火種になったわけではない。福岡県議会をめぐっては、今回のタイ視察写真が拡散する以前から、正副議長職を巡る金銭授受疑惑や、熊本地震直後に開かれた自民党福岡県議団による政治資金パーティーなど、複数の疑惑報道が相次いでいた。
県民からの信頼がすでに大きく揺らいでいた、まさにそのタイミングで、今回の写真が浮上した格好である。
「一場面の切り取りが人物の本質として処理される」という認知の仕組み自体は、政治家に限らず誰にでも当てはまる普遍的な原則だ。しかし、その一場面がこれほど大きな炎上に発展したのは、すでに積み重なっていた不信感という土壌があったからにほかならない。
見た目・印象の自動的な処理という土台の上に、今回特有のタイミングが重なって初めて、これほどの燃え広がり方をしたと見るべきだろう。


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