これらの領域では「計画的練習」そのものの輪郭がぼやけていること、そして、始める時点ですでに経験量に差があることが理由だとマクナマラらは述べています。加えて、人との関わり方や運、組織の文化に合うかどうかといった、練習では測れない要素の比重も大きいはずです。どれも、自分の練習の量を積んだからといって思うようにはならないものです。
だとすれば、職業の領域で才能を発揮したい人がやるべきは、「練習量で勝負する」ことではありません。自分の考え方のクセや人との接し方にしっくりなじむ環境を選び抜くことなのです。
ここでよく誤解されるのが、「練習に意味がない」という結論ではないことです。1万時間の練習に意味があるのか。この論争への答えは、「分野によって26%から1%未満まで幅がある」というのが、今の科学の立場です。だからこそ、才能を伸ばすやり方は「どんな分野でも1万時間」ではありません。
「練習した分だけ差がつく分野を選んで、そこに1万時間」です。同じ1万時間でも、うまさの差の2割が練習量で決まる分野と、1割にも届かない分野とでは、成果がまるで違うのです。
チェスやピアノのように「練習が報われやすい分野」では、計画的練習はやはりしっかり効きます。やっかいなのは、職業選びの場面に同じ式を当てはめると、出てくる答えがズレてしまうことなのです。
「練習量そのもの」も遺伝で説明できてしまう
では、練習量で説明できない残りの部分は、どこから来るのでしょうか。この対立に一石を投じてくれた双子の研究を紹介します。


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