笑いのためにあえて間違ったことを言うのであれば、何が正しいのかについての理解が必要になる。優れた毒舌や風刺は、対象について何も知らなくても成立するものではない。対象の構造を理解したうえで、どこを誇張すれば滑稽さが生まれるのか、誰を笑いの対象にしているのかを巧みに制御することによって成立する。
その設計が曖昧なまま「これはキャラクターだから」「本気で言っているわけではないから」と言い訳を重ねても、良識ある人々からの理解は得られないだろう。むしろ、社会に存在する偏見を反復して再生産してしまうおそれもある。この手のことを笑いのネタにするのなら、そのリスクについては十分に自覚的であるべきだ。
仮に、これが地上波のテレビ番組だったとしたら、そもそも学歴差別を笑いのネタにすること自体が不適切だと判断され、最初から企画が通ることもなかっただろう。YouTubeという媒体だからこそ、このような過激な表現が成立していたのだ。
YouTubeでも、越えてはいけない一線がある
もちろん、YouTubeでも一定の制限はあり、何をやっても許されるというわけではないが、地上波に比べると許容範囲は広い。その分だけ、制作者は倫理的なことに関して自覚的でなければいけない。自由なメディアだからこそ、自分を律するモラルが強く求められるのだ。
今回の件で本当に問われているのは、wakatte.TVがこれまで続けてきた「学歴差別を笑いにする」という試みが、学歴社会を相対化して健全な笑いを生み出すものになっているのか、ということである。
「差別者を演じているだけです」という言い訳をすれば、どんな差別的発言をしても許されると考えているのだとしたら、そのような人間にメディアで情報発信をする資格はない。今後の彼らに求められているのは、自分たちがやっていることの構造を十分に理解したうえで、多くの人を楽しませる新たなエンタメ作品を生み出すことなのだ。


※ログイン後、コメント入力が可能です。