「スキャンダラスな存在」瀬戸内寂聴が選んだモデル
どんな悔しい思いをしようと、寂聴先生はそれでも男女のこと、とりわけ複雑に絡み合っている男女のことを書くのをやめようとしなかったし、私生活において何度もキケンな恋に身を投じた。
学習能力ゼロと言ったらそれまでだが、文壇デビューのときにスキャンダラスな存在として語られ、扱われた彼女はそれを逆手にとって自らの物語を紡いだ。積極的にメディアに出て、自分の言葉でスキャンダルを語り、先生は後ろ指を指される対象から、自らの運命を生き抜く主体として成長していった。己を信じ、マイウェイを突き進んでいった瀬戸内寂聴。彼女の揺るがぬ姿勢に、心からあやかりたい。
そんなステキな先生の復活を飾ったのは、『田村俊子』と題された伝記物。
のちの序章となる「田村俊子・東慶寺」は、『無名誌』という雑誌に掲載されると、たちまち話題を呼んだ。それは1959年、つまり「花芯」事件からおおよそ2年が経とうとしていたときだ。「田村俊子」は翌年の1月に、雑誌『文学者』に再掲され、12月まで連載が続いた。そして1961年に、『田村俊子』は文藝春秋新社より1冊の本として刊行される。さらに同作は第1回の「田村俊子賞」の受賞作として選ばれた。これで寂聴先生はやっと、文学界に返り咲くことができたのである。


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