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国税庁の査察を受け1億円の追徴も…朝ドラ《ブラッサム》宇野千代が「書くことも憚られる」と振り返る"お金の事情"

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戦後になって宇野千代が直面した経済的な苦境とは(写真:Graphs/PIXTA)
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そんな状況の中、青山南町の家には連日のように、借金取りが入れ替わり立ち替わりやって来た。

「この間に北原のしたことは、作品を書くことではなかった。金になるものなら、何でも書き飛ばした。私もまた、スタイル社の経営上の一こまとして発行した『きもの読本』にのせるためにデザインした、諸種のきものを『宇野千代のきもの』と銘打って売り捌いた」(『生きて行く私』より)

米国で着物ショー開催も経済的苦境が続く

『宇野千代 その言葉と人生』(宝島社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

千代がジェトロ(日本貿易振興機構)の依頼を受け、米国シアトルで「きものショー」を開催した1957(昭和32)年、スタイル社は会社更生法の適用を受けて再発足した。

一部の債権者が「スタイルの店」を占拠する騒動が起きたりしたが、千代は京橋の裏手に「宇野千代きものの店」を出し、着物を売り続けた。

千代が店に不在だったある日、お得意様の平林たい子がこんなことを言い置いて帰ったという。

「こんな、きものを作って売ったりしないで、どうして文学一筋にやっていかれないのかねぇ」

金策に行き詰まった千代は、平林の家を訪ねて20万円の借金を申し込んだ。平林は何も訊かずに、返してもらえないかもしれない金を貸してくれた。千代には平林が観音様にも、後光がさしているようにも思えた。

「私は決して文学一筋ではなかった。しかし、私の心の中は、そのときの生活とは関係なく、いや、そのときの生活が文学から離れていればいるほど、文学一筋なのであった」(『生きて行く私』より)

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