こうした連携がうまくいった背景には、みなかみ町側の協力姿勢の大きさもある。横瀬氏は「役場はもちろん、地元の方々が前向きだった」と語り、その象徴が企画課の石坂貴夫氏だったという。「何か課題が出るたびに『ここを調整すればできるはず』と、自ら解決策を提案しながら、同じ目線で一緒に作っていってくださいました」と振り返った。
みなかみ町・群馬銀行・オープンハウスグループ・東京大学、そして後に加わる再生建築研究所とStaple。「何が欠けても難しかった」――内田氏、横瀬氏が口をそろえるように、産官学金それぞれの知恵が積み重なってこのプロジェクトは動き出した。
「減築」という第三の選択肢
「産官学金」4者連携の資金調達のスキームが解決したのは、お金の問題だけではなかった。もっと根本的な問いが残っていた。
「この廃墟を、どう再生するのか」
廃墟の処理には通常、「全解体して新築する」か「リノベーションする」かの二択がある。新築は先述のとおりかなわず、1万8000㎡をまるごとリノベーションするにも莫大な費用がかかり、現実的ではなかった。
そこで提案されたのが「減築」という第三の道だった。
既存建築の構造・法規・事業性などを読み解き、再び活用可能な資産へ転換する「再生建築」を主軸とする再生建築研究所(SAISEI LABORATORY)と、東京大学都市デザイン研究室との対話から生まれた発想だ。
同時に再生建築研究所は、オープンハウスグループとともに、事業として成り立つか、地域にどうなじむか、技術的に安全に解体できるか——多岐にわたる検討を重ねていった。最大7層あった棟を、場所に応じて低層化する。壊して建て直すのでも、そのまま残すのでもなく、「建物を削ることで価値を高める」という発想の転換だった。
「人にはカルテや履歴書がありますが、建築にはそれがない。だから誰も実態を把握できておらず、設備も構造も法規も入り組んだままでした」。再生建築研究所代表の神本豊秋氏は、旧一葉亭が抱えていた問題をこう表現する。
実際に神本氏のチームが調べ直すと、当初「4〜5回」と伝えられていた増改築は、十数回に及んでいたことが判明したという。かつて約600㎡だった建物が、1998年頃にはなんと1万8000㎡にまで膨れ上がっていた。


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