戦後の高度経済成長期に入ると、水上温泉の勢いはさらに加速する。社員旅行や組合旅行が全盛の時代、東京からのアクセスが抜群に良いこの場所は、企業の慰安旅行の定番コースとなった。最盛期には100軒を超える宿泊施設が軒を連ねていたとも言われている。
大型宴会場を備えた数百人規模のホテルが次々と建設され、1948年創業の「ひがきホテル」のような巨大施設も生まれた。客室120室・収容人員650名を誇り、水上温泉地区有数のホテルとして知られたこのホテルこそ、後の「旧一葉亭」である。この頃の水上温泉街は、宴会コンパニオンを呼ぶ店やショーパブが軒を連ね、「関東の奥座敷」というよりは「歓楽の温泉街」としての色合いを帯びていったと言われる。
水上温泉は高度経済成長後も団体旅行需要を背景に成長を続け、1980年代後半からのバブル期に“黄金時代”を迎えた。
この好況を追い風に、後に温泉街を苦しめることになる「過剰投資」が同時進行していた。既存施設はこぞって増築を繰り返し、「ひがきホテル」のように、もとは1棟600m²だった建物が7棟・約1万8000m²(約5400坪)にまで膨れ上がる例さえあった。本館、新本館、第一別館、第二別館、新館、遊技場、それに温泉を沸かすためのエネルギーセンター――増築のたびに棟数を重ね、いつしか一つのホテルが小さな街のような規模になっていた。
バブル崩壊後は「廃墟の温泉街」へ
バブルが弾けると、その反動は壊滅的だった。
団体旅行・社員旅行の文化が急速に廃れ、旅行スタイルが個人旅行へとシフトしていった。それと同時に、1982年に開通した上越新幹線が旅行者の選択肢を大きく変えた。新幹線に乗れば、水上を素通りして越後湯沢まで一気にたどり着けてしまう。交通の要衝だったはずの場所が、「通過されてしまう場所」に変わっていったのだ。
さらに追い打ちをかけたのが、2004年に全国の温泉地を揺るがした「温泉偽装問題」だ。


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