2025年、3人はこの構想を試す形で「お試しオープンアトリエ」を開催する。地域のアーティストが旧ひがき寮の一室を一時的なアトリエとして公開し、制作の様子を見せたり作品を販売したりする試みだ。
出展者はわずか6組。それでも初回には約140人が訪れた。「お試し」という名前の通り、これは廃墟再生プロジェクト全体からは独立した、団体化前の個別イベントとして企画されたものだった。この場所でどれだけの反応があるのか、確かめる意味合いが強かったという。
第2回は184人、第3回は「廃墟再生マルシェ」からリニューアルした「ミナカミ・ミライ・マルシェ」内で開催したことで約1000人が訪れ、3人が思い描いていた以上の手応えがあった。
「ミナカミロジウラ部」誕生へ
手応えを得た一方で、3人はずっと、自分たちの立場が曖昧なままであることが引っかかっていた。
「自分たちはどこまで踏み込んでいいのか、自分たちはどんな立場にあるのか」
当初東大側から表立って言われていたのは「アートに関わる創り手の目線からアドバイスがほしい」ということだったが、この頃になると実際に現場を動かしていたのは3人の方だったからだ。
これは学生たちが怠けていたという話ではない。東京から通う学生にとって、新幹線を使ってみなかみ町に足を運ぶのは、日帰り出張のような感覚だ。イベントの日に来て、片付けもそこそこにその日のうちに戻る、という状態だった。
2025年11月、12月の冬。雪で旧ひがき寮での活動がままならない期間、3人と東大メンバーは何度も話し合いを重ねた。「それぞれが担う領域を、もう少しはっきりさせたい」――そんな率直な話し合いだったという。


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