彼女の熱意は実を結び、東京大学に現役合格した。
かつての演劇への情熱は、応援部でのチアリーダーのパフォーマンスに行き場を変えた。
「目立ちたがりで、キラキラしてる感じが好きなんでしょうね」と彼女は語る。
就職活動でも受験の戦略は通用した。
「学生だから業界の知識はなくて当然。要は『この子は根性があって、言うことを聞いて、きちんと働きそうだ』と面接官が気に入ればいいんでしょう」と割り切って面接に向かい、短期間で大手総合商社の内定を勝ち取った。自他ともに認める、安泰な人生だった。
年収1000万円超の総合商社
「将棋の駒のようでした」
総合商社では順風満帆のエリートコースを進み、入社数年で上海駐在の打診を受けた。ちょうどその時期に母が余命宣告を受け、駐在を拒否したが、その希望が聞き入れられることはなかった。
上海に着いても、中国語の試験を突破するまでは勉強漬け。その後も若手に大きな仕事は回ってこず、酒と接待の体育会系の空気の中で、女性として立ち回る難しさを痛感する日々だった。
母は駐在中に亡くなった。
「私、親不孝じゃん」
心身の悲鳴は摂食障害として表出し、帰国した彼女は誰が見ても明らかに痩せ細っていた。
休職に入り、彼女は自分の将来について根本から見つめ直すこととなった。
「会社に復帰して、安定的に年収1500万円もらっても、働き終えたら65歳。それを想像すると、震えるほど恐ろしかった」
戻ろうと思えば戻れた。よくしてくれた会社だった。それでも、戻れなかった。
閉塞した日々の突破口は、インスタグラムにあった。
「ライブ配信はお金になるらしい」という断片的な知識から配信を始め、試行錯誤しながら3カ月でフォロワー3万人を達成。2020年、コロナ禍で配信の需要が膨らんでいた時期だった。
朝に弱くて予定よりも配信開始が遅れてしまうこともあったが、それを「しょうがないな」と受け入れ、投げ銭までしてくれるリスナーたちの存在に、彼女は感謝しつつも戸惑った。


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