2001年には、当時の吉田修一市長が「四年制私大が一校もなく、県都として恥ずかしい」と語ったことも紹介されている。福島の「官の街」評は、遠藤社長一人の見立てではなかった(『とうほく財界』2001年1・2月号)。
遠藤社長はさらに、空洞化への処方箋として「都心に居住空間をつくるべきだ」と提言していた。人が住めば、街は自然と賑わうという発想だ。この提言が形になるまで、この後さらに20年以上を要することになる。
誰も間違えていなかった
最終的に、ビブレ(かつての山田百貨店)はマイカル(旧ニチイ)の経営破綻を受けて「さくら野百貨店」となったが、2年ほどで閉店した。
中合も、東口再開発に伴う辰巳屋ビルの賃貸借契約満了を理由に、2020年8月末で閉店。再開発後のビルへの入居も検討されたが、工事期間中の休業や仮店舗では採算が見込めず、断念したという。
中合がダイエーと提携したのも、山田とツタヤが業態を変えたのも、それぞれの会社にとっては生き残るための判断だった。
福島市もまた、何もしてこなかったわけではない。県都として公共施設や医療、教育などの都市機能を整えてきた。だがその選択が、大学や病院を郊外へ追いやり、駅前の求心力を徐々に削っていくことにもなった。
百貨店が消滅した理由を、「福島市が衰退したから」と一言でまとめることはできない。街も店も、その時々で必要な選択をしてきた。しかし、その判断の積み重ねが、結果として百貨店を支える商業環境を弱めていったのかもしれない。
福島駅前通り商店街の副理事長・齋藤さんは、こう振り返る。
「まさか中合がなくなるとは思わなかった。でもなくなった今、次も百貨店を、とは思わない。せめてみんなが集まれる場所を願っています」


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