中高一貫の進学校である甲陽学院中学校・高等学校を卒業した伊藤さんは、現役で東京大学理科一類に合格。3年次進学時に工学部航空学科を選び、目標へ向けてつき進みます。
しかし、残念ながら、目標としていた航空会社への就職はかないませんでした。
「当時はオイルショック後の不況で、航空会社の採用が極めて少ない状態でした。どこの会社も採用人数は全国で数名くらいだったと思います。大学院に進学してもう一回航空会社を受けることも考えたのですが、父親に『早く関西に帰ってきてほしい』と言われたこともあり、大学院進学はせず、大阪に本社を置く機械メーカーに入社しました」
伊藤さんが会社で配属されたのはディーゼルエンジンの研究・商品開発部門でした。以来、農業機械・建設機械・産業機械に搭載するエンジンの開発を担当し、途中3年半の品質保証部門勤務もありましたが35年間、一貫してエンジン開発に携わり続けました。
3人の子どもが高校に入学するのを見届けて57歳で退職
そんな伊藤さんは、定年目前の57歳で早期退職を決めます。その決断の芽は、退職の約10年前から育ち始めていました。
「私自身が頸椎症があって、ずっと鍼灸の先生のところに通院していたんです。その先生に頸椎症を治していただいたのですが、この仕事は人の役に立つ仕事だなと感じていました。だから、最初は鍼灸師になろうかと考えていました。
ただ、退職するまでの10年の間に、鍼灸師もいいけど、医師のほうが患者さんのためにできることがもっと多いなと考えたんです。鍼灸師だと投薬も手術もできないし、日本では、東洋医学は西洋医学に対してできることの制限があることもあり、医師になってから鍼灸の仕事をしたくなってもできるから、医師になろうと思いました」
当時すでに3人の子どもがいた伊藤さんは、奥さんと相談して、末の子の学費がかかる間は退職できなかったものの、1番下の子が高校に入ったのを機に編入受験の勉強を始める許しが出たので、57歳で早期退職を決断しました。


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