なお取材のなかで、Enumaは今年中に日本専用の新しいプロダクトを投入する計画だと明かしている。新製品をまず日本市場に投入し、ここで語学のパイプラインを築くという。韓国や中国では年齢が上がるほど親の関心がテストのスコアに偏るのに対し、日本では英検(実用英語技能検定)に代表されるように4技能を測る仕組みがあり、リスニングやスピーキングも求められる。この違いが今後数年で大きな差を生むはずだ、とコンホ氏は付け加えた。
本当の壁は、子どもではなく親にある
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子どもを1人にするために画面を渡すのか、それとも一緒に見るために渡すのか(写真:Enuma提供)
取材の終盤、2人は日本の親に向けたメッセージを語った。
スイン氏が指摘したのは、教育上の判断における本当の壁は、子どもではなく親にあるということだった。世界はこの数年、数カ月で劇的に変わり、これからも変わり続ける。にもかかわらず、親は自分が受けた教育を基準に判断してしまう。学びは子どもだけのものではなく、親自身が目と心を開いて新しいことを学ばなければならない、と彼女は訴えた。
コンホ氏の言葉は、さらに耳が痛かった。かつて自分の親は「漫画ではなく本を読め」と言った。そして今、私たちは「YouTubeではなくNetflixを見なさい」と言っているようなものだ、と彼は笑う。
テクノロジーのよい面を受け入れることを恐れないでほしい。ただしSNSやドーパミン依存といった暗い面には十分に注意を。これからの時代の子どもは、古い紙と鉛筆だけでは学べないのだから──。そして最後に彼が挙げた、もっとも大切なことは拍子抜けするほどシンプルだった。「子どもを信じること」。子どもは親よりもよく分かっていて、どうにかして生き抜いていく。親はただ導き、守ればいい、という言葉だった。
筆者には8歳と6歳の娘がいて、毎日のように学習アプリを開いている。取材を終えて気づいたのは、タブレット学習への罪悪感の正体は「デジタルそのもの」ではなく、「使い方が分からないこと」だったということだ。
子どもを1人にするために画面を渡すのか、それとも一緒に見るために渡すのか。同じ端末でも、意味はまったく変わる。1人1台という形式より、その1台のまわりに誰がいるかのほうが、はるかに本質的なのかもしれない。GIGAスクール構想が次の段階に入ろうとしている今、問われているのは端末の数ではなく、その使い方をめぐる大人の側の想像力である。


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