SFC一期生の就職は、産業界から“モテモテ”だった。94年3月4日の『産経新聞』は〈ユニーク新設学部1期生 就職戦線に大モテ 不況下、女子も9割〉と題して、就職希望者のほぼ全員が早々に内定を得たことを伝えている。90年代半ばから、インターネットが日本に急速に普及した。企業のIT化が課題となる時代に、他大学に先駆けてIT教育を取り入れていたSFCに期待が集まったのだ。
94年3月にはスポークスマンとしてSFCを盛り立ててきた加藤氏も定年となり、一期生と共にSFCを去った。お別れの挨拶で加藤氏は、途中、声を震わせながら〈……SFCをミネルバの森に、学生たちを日本の闇を照らしに巣立ってゆく知恵のフクロウにたとえ、若者たちの将来への大きな期待を語った。〉(『未来を創る大学』)。
加藤氏は退職にあたって、「大学人として湘南藤沢キャンパスの建設に参加できたことは幸せだった」と述懐していたという。〈この加藤の言葉は加藤一人のものではない。おそらく学生も、教員も、職員もみな一人一人がSFCをつくったのだという誇りを持っていたに違いない。〉(『未来を創る大学』)。
SFCバブルの崩壊、そして平時へ
『未来を創る大学』では、産業界からの期待が高く、SFC生の就職が好調だった90年代半ばを「SFCバブル」と定義している。しかし、それは長くは続かず〈バブルの発生、バブル崩壊、そして平時へ〉と評価が変遷していったという。
97年4月7日の『日本経済新聞』では、就職後、わずか8カ月で退職した一期生のコメントを紹介している。〈職場で課長をさん付けで呼んだら怒られ、……上司の酒に付き合わされるのも苦痛だった〉。
同記事にはこうもある。〈……大手証券会社に入社した女性総合職が集団退職するなど、SFC卒業生たちの間に企業組織との“不適応”を起こしている例が少なくない。「帰国子女が多いせいか、日本型企業組織になじめないケースもある」(大手電機メーカー)などの批判が出ているのも事実。〉。
この頃から、SFC生は協調性がなく、すぐに会社を辞めてしまうというイメージが広まっていく。問題発見・解決ができる人材育成を目指したSFCの教育は、終身雇用と年功序列を前提にした当時の日本企業と噛み合わなかったのだ。


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