それでも、「アイドルやめろ」といった、タレント本人が見たら傷つくような強い言葉でのリアクションを表明するのはやはり行きすぎと言っていいだろう。
なぜ自分の好きなアイドルに対して、このような攻撃的な反応が出てくるのだろうか? それは、推し活文化の拡大と無関係ではない。もう少し視点を広げて考えてみたい。
「推しの人生をコントロールできる」という、おかしな全能感
アイドルが結婚してファンが悲しむ――というのは今に始まった話ではない。
ファンそれぞれがSNS上で個人の気持ちを発信できるようになったのは近年の大きな変化の1つなので、それが可視化されるようになったというのは大きいだろう。
さらに、ここ数年は、“推し活”といった言葉がはやりすぎるあまり、金銭を含む、自分の人生を捧げることが絶対的正義だといったような感覚が同時に広まっている。それが転じて、推す対象の人生までコントロールしていいかのような錯覚を持った人も増加しているように感じる。
2010年代、AKB48の総選挙が盛り上がり始めた頃から、CDを大量購入することが善のような空気感が醸成されていった。
実際、この総選挙のシステムはCDを大量購入し、自身の“推しメン”に多く投票することによって、メンバーの順位を上昇させることができた。ファンの購買によってアイドルの人生を動かすことができる――。その経験がファンにある種の全能感のようなものを持たせてしまったのではないだろうか。
その感覚は、推し活文化の隆盛とともに、他の界隈のファンにも浸透していった。「◯◯をチャート1位に連れていく」「◯◯を東京ドームに連れていく」といった表現はファンの側からよく聞こえるようになったが、それは「自分の行動で、推しの人生を良い方向に導くことができる」という感覚が根底にあるからこそ発せられる言葉であり、この感覚は推し活の醍醐味にもなっている。


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