一つ考えられるのが、インターネット上で拡散される、いわゆる「陰謀論系」のコンテンツだ。特に大きな影響を与えているとされるのが、とあるYouTubeチャンネルに、2026年4月に投稿された一つの動画である。
そこでは、近現代史の研究者を名乗る人物が、「原爆投下は事実ではない」と言及。広島や長崎に投下されたものは原爆ではなく、被害も放射線によるものではないといった持論を展開していた。この動画が4カ月の時を経て、再び注目されているのだ。
多くの読者が「そんなデマを信じる人などいるのか」と思うだろう。筆者も同様の考えだ。しかしながら、それを信じる人々を一蹴することは、根本的な解決につながらない。
ここで考えるべきは、主張の荒唐無稽さではなく、「定説から大きく異なる言説でも、信じてしまう人がいる」ことについてだ。その存在を無視してしまえば、毎年夏の風物詩的に、こうしたデマが出回ることとなるだろう。
デマが広がる背景には、メディア、とくにマスメディアに対する不信感が考えられる。「“オールドメディア”にはダマされないぞ」「政府や報道機関が隠している真実がある」といった疑念が、真偽不明な言説の支持につながるのだ。
そこでカギを握るのは、「モヤモヤをキッパリと言語化してくれる存在」だ。明快であればあるほど、スカッとする。「もしかして原爆の被害などなかったのでは」と思う人の前に、「『もしかして』じゃなくて、ホントになかったんだよ!」と言い切ってくれる人が出てくれば、わらをもつかんでしまうのだ。
そこには「主張が正しいか、間違っているか」より、優先される基準がある。いわば「あなたの疑問は間違っていないよ」と、お墨付きを与えてくれるか否か。自ら検証する前に、先回りで“答え”を示されれば、飛びつく気持ちもわかる気がする。
「わからないこと」には、わからないだけの理由がある
百歩譲って、原爆投下に「解明されていない点」があるのは事実かもしれない。しかしそれは、大量の犠牲者の発生や、終戦の混乱などで、被害の全体像が把握できない状況だったことに要因がある。
また、被爆者も、世間からの偏見や、「自分だけ生き残ってしまった」という後悔の念などから、多くを語らない人は多い。後年になるまで、人によっては生涯を通して、その体験談を語るのに積極的でない人もいる。情報がつまびらかになっていないことには、理由があるのだ。


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