イデオロギーが硬直的で定型的な思考を求める場合に、私たちが求められているのは、先入観を持つこと、心に渦巻く疑念をおさえつけて沈黙すること、個としての考えや創造的な可能性を放棄することだ。
本当に求められているのは、硬直的で定型的な思考というよりも、私たちが別の人間になることである。自分らしさや好奇心、自由を失った別の人間に。
私たちは慣習的に、イデオロギーを長所や短所、論理の飛躍という点から批判している。何でもかんでもバイアス、バイアスと言いつのる。
また、相手の信念体系を深く掘り進んで、矛盾や見せかけを白日にさらすこともする。軽蔑や嘲笑を受けて当然の素朴さや鈍感さ、無知を暴露する場合もある。
相手の見解を、置かれている法的・経済的な面での憶測や、社会的な問題、旧来の世界観との歴史的な共通点といった観点から批判することもある。
個人の脳の観点から問い直す
私は、それとは違った観点からイデオロギーを問い直せることを示したい。個人の観点から、そして個人の脳の観点から問い直すのだ。
イデオロギーを信じることが人間の身体と脳にどんな影響を与えるのかという議論を、イデオロギーの評価の土台にすることができると私は考えているのだ。
具体的に言えば、イデオロギーを熱狂的に信奉することが、その人の動作を狭めたり、思考の柔軟性を失わせたり、反応を制限したり、暴力的な行動の引き金になるのかどうかということだ。
柔軟な思考や変化の余地が狭まり、自らの感覚に直接アクセスする機会が減ると、自分自身や他人を非人間的に扱う危険性が生じる。そして誰もが鈍感になり、融通がきかなくなり、自分らしさを失っていく。
現実をイデオロギーのレンズ越しに見るようになると、経験の豊かさに目を向けず、もっと限られた画一的な経験を重視するようになる。
イデオロギーにさらされた脳を、神経画像デバイスや認知テストを用いて研究すれば、これまで見えなかったさまざまな形のイデオロギーによる支配を浮き彫りにできる。科学のツールによって、新たなイデオロギー批判の方法を確立できるのだ。


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