イデオロギーはこの地上で私たちと共存しているものだ。歴史という高い空の上にあるのでも、政界のエリートというそびえたつ塔の上にあるのでもない。
イデオロギーが存在する、この世を超越したステージがあって、そういう高い場所から神聖なる意見が完全な形で下りてくるわけではない。
イデオロギーは個人に宿るのだ。個人の心によって、社会的教義がイデオロギー的思考に変えられる。それは、心に対する厳格なルールと、注意深く制御した心的飛躍(類推)によって支配された思考スタイルだ。
イデオロギーは、定義のうえでは歴史的な潮流や社会学的な変化として扱われることがほとんどだが、私はそうではなく、イデオロギーを心理学的現象として調べることに興味を持っている。
この心理学というレンズを通して見れば、イデオロギーが信奉者にどんな影響を与えるのか、そしてどんな人が一番引きつけられやすいのかを問うことができる。
個人の脳の内部で作用するプロセスにスポットライトを当てることで、イデオロギーがどんな場合に信奉者の精神生活を束縛するのか、そしてその束縛から解放される場合があるのかどうかを探れるようになる。
「どのように」考えさせるのか?
道義的に正しい、倫理的である、不可欠である、緊急性がある、よくできているといった評価のあるイデオロギーでも、詳しく調べるべきだと私は考えている。
イデオロギーの構造や起源、影響を調べ、信奉者の心の中で何を変化させるのかを探れるからだ。そこから、イデオロギーが心の中で何を壊したり、無力化したりするのかを詳しく調べられる。
イデオロギーはどんな生物学的プロセスや心理学的プロセスに影響しているのだろうか? イデオロギーは信奉者の脳を支配下に置いているのだろうか? それとも自由に考え、行動させているのだろうか?
極端で教条的な形で実践されうるという点では、どの世界観も同じだ。世界の説明に用いられる文化的ナラティブはどんな種類であれ、全体主義的イデオロギーに陥る可能性がある。
そう考えると、イデオロギーが私たちに何を考えさせるかを調べるだけでは十分ではない。どのように考えさせるのかについても分析する必要がある。


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