教育学の世界では、「体験」と「経験」を絶対に一緒にしません。
体験を振り返って内面化して、初めて経験になる。その経験をさらに振り返って教訓化すると、学びになる。その学びを踏まえて、ようやく自己成長になる。
この一連のプロセスを、どこまで自分の言葉で言語化できるか。ここが勝負であり、これをさせることができないのであれば、どんなに素晴らしい結果を出したスポーツ選手のコーチ・受験生の先生であっても指導者失格と言って差し支えないと思います。
もっとも「東大に受かった」で終わっている人は、体験のまま止まっているわけです。
しかし、「東大受験を通じて、自分は逆算して計画を立てる思考を身に付けた」まで言語化できた人は、経験になっている。
そこからさらに「この逆算思考は、あらゆる長期プロジェクトに使える汎用スキルだ」まで抽象化できた人は、初めて学びになっていて、社会でも化けるんですよ。
次の状況でも使える能力にしよう
だから、僕はいつも学生にも社会人にも同じことを言うんです。
「あなたの頑張りを、次の状況でも使えるように翻訳しなさい」と。
それをやらないと、どれだけ努力しても、その努力はその場限りの花火で終わってしまう。
東大卒で使えない人を笑うのは簡単です。でも本当に考えるべきは、自分自身の努力がちゃんと転移可能な形で内面化されているか、ということなのではないでしょうか。
ここに真摯に向き合える人こそが、状況が変わっても輝き続けられる人なんだと、自分は思っています。


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