議論の詳細はわからないが、参加者の4人により、次のように報じられた。
「今度 御両殿様(織田信長・信忠) 不慮の儀に付いて 城介殿(織田信忠)若子(三法師)様、宿老中として守りたてまつり、天下の儀仰せ付けられ候」
三法師が織田家の家督を継ぎ、重臣たちはそれをサポートする。そんな体制が決まったことは確かなようだ。また、三法師はいずれ織田家の本拠である安土城に移すことも、この時あわせて取り決められた。ただし幼少のため、当面は岐阜城の織田信孝のもとに預けられることになった。
信孝と対立した秀吉が組んだ相手
ところが、その後、秀吉が信孝に対して「三法師を約束通り速やかに安土城へ移すように」と要求するが、柴田勝家と結んで秀吉に対抗しようとしていた信孝は、影響力を失うことを恐れてこれを拒否。両陣営の対立が深まっていく。
そこで秀吉が次に打った手が、織田信長の次男・信雄との連携だった。
以上のように、清須会議でいったんは方針が決まったかに見えたが、本当のせめぎ合いは、会議が終わったあとに待ち受けており、重臣たちの思惑が交錯することとなった。
それでも、変わりゆく状況に秀吉はいつも先手を打ち続けた。そして、そこには、史料には残っておらずとも、秀長のサポートもあったと考えるのが自然だろう。大河『豊臣兄弟!』で、どのように描かれるかに注目したい。
【参考文献】
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』 (吉川弘文館)
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)



※ログイン後、コメント入力が可能です。