大人が用意した枠の中で選択できるだけで、「やらない」という選択肢がないからだ。自由研究における自由とは、テーマを選べることだけではない。取り組むかどうか。途中でやめるかどうか。作品にまとめるかどうか。学校へ提出するかどうか。人前で発表するかどうか。そこまで本人が選べて、初めて自由研究と呼べる。
自由研究そのものをなくす必要はない。好きな子、やりたい子には、思う存分取り組める機会があればよい。なくすべきなのは、「全員一律の義務提出」である。
自由研究は、ほぼ家庭との共同課題
ベネッセコーポレーションが2026年7月、「進研ゼミ小学講座」の小学3~6年生を中心とする子ども1万699人と、小学生の保護者918人を対象にインターネット調査を行った。
自由研究が宿題に出た場合、保護者の48.3%が「すべてではないが一部を手伝う」、26.7%が「テーマ選びからまとめまですべてを手伝う」、16.7%が「手伝わないがアドバイスはする」と回答した。何らかの形で自由研究に関わる保護者は91.6%にのぼるのだ。
さらに子ども、保護者の双方にとって、最も大変な夏休みの宿題は「自由研究・工作」だった。保護者では40.1%が挙げ、2位の「読書感想文」29.4%を10ポイント以上上回っている。

特定の通信教育利用者とアプリ登録者を対象とした調査であり、全国すべての家庭を代表する数字ではないが、自由研究が家庭の支援を強く必要とする実態は読み取れる。
特に低学年では、子どもだけで自由研究を完成させるのは難しい。小学1年生は、文字や文章表現を学び始めたばかりである。テーマを決める、材料をそろえる、観察や実験の手順を考える、写真を撮る、結果を整理する、文章にする、見やすく配置する……保護者の助けがなければ成立しにくいのは当然だ。
親が関わること自体は悪くない。子どもが本当にやりたがり、親も一緒に楽しんで手伝うのであれば、豊かな親子の時間になる。問題は、家庭の協力を前提としなければ成立しにくい活動を、学校が全員に義務づけることにある。
保護者の時間、経済力、知識、得意不得意、移動手段には差がある。家庭の支援力によって完成度が変わるものを、子どもの成果として並べて評価すれば、自由研究ではなく「家庭力の競争」になってしまう。

