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カリフォルニア州に負ける日本経済? 「名目GDP」に惑わされない"購買力平価"で見た本当の実力

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GDPと世界の順位
名目GDPだけでは真の経済力は測れません(写真:ヒラリーマン。/PIXTA)
  • 安田 佐和子 ストリート・インサイツ代表取締役、経済アナリスト
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中国とインドの経済は第2次世界大戦後もしばらく停滞を続けていましたが、中国は1978年に改革開放に踏み切って「世界の工場」としての地位を確立し、インドも1991年の経済自由化以降に世界的なITの拠点として発展を遂げました。今では両国ともに世界最先端の技術を活用し、グローバル・サウスの一角として国際的な発言力を強めています。

歴史的には、アジアの繁栄の中心は常に中国とインドでした。日本がアジアで最大の経済力を誇っていたのは、近代化が先行したことによる一時的な現象に過ぎなかったのかもしれません。

GDPの歴史

GDPは今では「経済指標の王様」といってもよいでしょう。しかし、その誕生は意外にも新しく、しかも軍事的な要請と深く結びついていました。

現在のGDPにつながる最初の動きは、1930年代の大恐慌のなかで米国の経済学者サイモン・クズネッツが「国民所得統計」を整備し、議会に報告したことです。これは国家経済の全体像を初めて数字で示した画期的な試みであり、経済がどれだけ縮小しているのかを数量的に把握し、雇用政策や社会保障制度に役立てることを目的としていました。

しかし、GDPの重要性が決定的に高まったのは第2次世界大戦期でした。国家総動員体制の下で、戦車や航空機をどれだけ生産できるか、弾薬や燃料をどれだけ確保できるかを正確に計測する必要がありました。GDPは経済の総生産を集計する軍事目的の指標として急速に発展したのです。

戦後になると、国際機関がGDPを世界共通の指標として整備しました。国連は1947年に「国民経済計算体系(SNA)」を採択し、OECDやIMFも各国に導入を促しました。

冷戦期には、東西のどちらの陣営が豊かかを測定する基準としてGDPが重用されました。「米国のGDPがソ連の何倍か」「西ドイツと東ドイツの経済力格差はどの程度か」といった比較は、イデオロギー対立の象徴的な数字となり、各国政府はGDPの数値向上を国家の威信をかけた目標とするようになったのです。

GDP統計は時代に応じて様々な改定が繰り返されてきました。1990年代以降の情報化社会の進展を受けて、研究開発やソフトウェア投資は従来の単なる経費から、将来の生産に寄与する資産として「投資」に組み込まれるようになりました。マイクロソフトがWindows開発に投じた費用や、製薬会社の新薬研究費などが、GDP押し上げ要因として計上されるようになったのです。

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