バランスのいい東大生は、切り捨てたほうがいい。極端なところがあるやつのほうがいい、というのが、僕の見立てです。
これ、伝わりづらいと思うので、少し違う話をさせてください。
浦沢直樹さんの漫画に、『PLUTO』という作品があります。手塚治虫の「地上最大のロボット」を、浦沢さんが再構築した傑作ですが、この作品の中に、「あらゆる人間の人格データを入力された、完全無欠のロボット」が出てきます。
理論上、彼は何者にでもなれます。優しい父にも、冷徹な軍人にも、慈悲深い聖職者にもなれる。すべての人格をインプットされた、究極の存在——のはずでした。
ところが、そのロボットは、目覚めなかったんです。
なぜか。あまりにも多くの選択肢を持ちすぎたから、「自分が何者になればいいのか」を決められなかったからです。
強烈な方向性はあったほうがいい
すべての可能性を持っているということは、逆に言えば、どれかひとつを選ぶ理由がどこにもない、ということでもある。
彼は、無限の選択肢の前で、フリーズしてしまった。これ、さっきの「頭がいい人は動けなくなる」の話と、まったく同じ構造ですよね。
じゃあ、この作品の中で、そのロボットが最終的にどうやって起動するか。
その答えは、「極端な感情を注入すること」でした。
憎しみでも、悲しみでも、愛情でもいい。とにかく一つの強烈な方向性を持ったベクトルを与えることで、無限のデータの海に「向き」が生まれ、ロボットはようやく動き出す。
僕は、社会で活躍している東大生を見ていて、この話をよく思い出すんです。

