じゃあ、なんで入試全体がこんな方向に動いているのか。僕がいちばん腑に落ちている説明は、「AIの登場で、単純な暗記の価値が急激に下がったから」というものです。
考えてみてください。10年前なら、「歴史の年号を1000個覚えている人」は、それだけで一定の価値がありました。手元にある知識の量が、そのままアウトプットの質を決めていた時代です。
ところが、いまはどうでしょう。ChatGPTに聞けば、年号どころか、その年号にまつわる背景・関連事件・現代への影響まで、10秒で返ってきます。「暗記量そのもの」で人間がAIに勝てる領域は、もはやほとんど残っていない。
こういう時代に、大学が「暗記量を測る試験」を続けても、正直、意味が薄いんですよ。
だから、大学入試は自然と、AIが相対的に苦手な領域――資料の読解、文脈判断、問いを立てる力、複数情報の統合――を測る方向に舵を切っている。
共通テストで読解力や情報処理力が重視されるようになったのも、私大で記述が増えているのも、根っこはたぶん同じところにあります。
「戻せ」という主張は、時計を戻せと言っているのに近い
こう考えると、「センター試験に戻せ」という主張の切なさが、少し見えてくると思うんです。
その主張は、突き詰めると、「AIが登場する前の世界に、入試を戻してくれ」と言っているのに近い。気持ちはめちゃくちゃわかります。ハードルが上がって、しかもそのハードルの上げ方が受験生に厳しいのは、事実だからです。
でも、大学が測ろうとしている力そのものが、社会の変化に合わせて変わってしまっている以上、試験の見た目だけをセンター時代に戻しても、結局どこかで別の形の負荷が跳ね返ってきます。
私大の二次で記述量が増える、面接や小論文の比重が上がる、総合型選抜が拡大する——実際、そのすべてがもう起きています。

