冒頭の親御さんの「勝てる勝負には勝てよ」という言葉に、僕が深くうなずいてしまったのは、たぶんこういうことなんだと思います。
多くの人は、「勝負」を大きなイベントだけに限って考えます。入試、大会、面接、プレゼン——そういう、非日常のスポットライトが当たる瞬間だけを「勝負」だと思ってしまう。
でも、東大生の家庭が子供に伝えてきた「勝負」は、たぶんもっと粒度が細かい。日常の、ほとんど誰にも見られていない、ちょっとした瞬間すべてが勝負なんです。
本を読んでいて出てきた知らない言葉を、調べるか、スルーするか。授業で腑に落ちない一文を、質問しに行くか、そのままにするか。宿題の途中で詰まったとき、もう5分粘るか、諦めて閉じるか。テストで見直しの時間が余ったとき、丁寧に確認するか、ボーッと待つか。
これらの一つひとつが、本人にとっては見過ごしそうなほど小さい選択です。でも、「勝てる勝負には勝てよ」という空気で育った子供は、この小さい選択のすべてで、無意識に『勝ちに行く』側を選ぶんですよ。
そして、その積み重ねが、5年後、10年後、20年後の「地頭の良さ」として、外から観察されることになる。
「頭がいい」の正体は、たぶん向上心
だから、僕は最近こう思うようになりました。
「頭がいい」の正体は、能力ではなく、たぶん向上心なんだ、と。
もっと言えば、「目の前に落ちている『勝てる勝負』を、拾いに行けるかどうか」という、姿勢の話なんじゃないか。
わからない言葉が出てきたときに、「これは自分が勝てる勝負だ」と直感して、調べに行く人。授業で難しい概念が出てきたときに、「ここでちゃんと理解できたら勝ちだ」と姿勢を正す人。仕事で新しいツールが導入されたときに、「早めに使い倒せたら勝ちだ」と真っ先に触りに行く人。
こういう人たちのことを、僕たちはたぶん、あとから振り返って「あの人、頭いいよね」と呼んでいるわけです。

