そこに異を唱えるのが、最後にご紹介する『路上観察学入門』。もちろん、「路上にあるものをどのように見つけ出して分析すべきか」が懇切丁寧に書かれた本ではありません。
本書は3人による共著であり、著者の赤瀬川原平氏は前衛芸術家にして作家、藤森照信氏は建築史家・建築家、南伸坊氏はイラストライター(自著エッセイに自作イラストをつける作風からきた自称)。そして、赤瀬川氏らは先述の「(超芸術)トマソン」をはじめに提唱した人物でもあります。
先に申し上げておくと、この本はここまでで紹介した中でもぶっちぎりで難解です。赤瀬川氏らのエッセイ及び対談記録を中心にまとまっており、彼らの共通認識である様々な知識を持っておかないと、はじめは何を言っているかわからないでしょう。
しかし、それでもこれは目を通しておくべき。普段見逃している路上について観察する人々がいて、その結果として様々な考察や学びが得られている。この事実自体が「自分が何もないと思い込んでいる場所に何かがあるかもしれない」可能性を示唆してくれるからです。子どものみならず親からしても大変な学びが得られるだろう名著でした。
まとめ
ここまで紹介した3冊は、どれも「日常で見逃していたあれこれ」を見逃さないで捉えるものばかり。そして、私個人としては、ここにこそ「勉強の神髄」が眠っているように感じます。
勉強とは、平たく言えば、知らないことやできないことなどを解消するための行い。ですから、「○○って何だろう?」とか「○○ができるようになるためには?」など、疑問を持てない限りは、いつまで経っても「勉強」になりません。疑えない限りは、勉強するチャンスすら生まれないのです。
日常的に見過ごしている様々なサインを見逃さないで捉えることで、研究や勉強は始まります。問題は、「見過ごしているから気づけない」こと。自分一人では、どうあがいても気づけない違和感がたくさんあるのです。
だからこそ、自分と違う視点を持った人々の話を聞いたり、本を読んだりして、新たな視点から新たな気づきを得ることが重要なのだと感じます。そうすることによって、さらに自らの見識を深めることができるからです。
「街を歩いても気晴らしにしかならない」「スマホでショート動画を見ている方が面白い」なんて思わずに、「まちの面白さ」を自ら発見しに出かけてみてはいかがでしょうか?


