そして面白いことに、東大生の中でも応用が得意な人と不得意な人がいるんです。そして、応用がうまいのは、意外にも「勉強で苦労した経験がある東大生」のほうなのです。
「苦労」が「言語化」につながっている?
理由はシンプルで、努力の型を「言語化」できているからです。
苦労して勉強してきた人は、「自分は英単語がまったく覚えられなくて詰まった」「でも、単語だけを覚えるのをやめて、短い例文ごと覚えるように変えたら抜けられた」——というプロセスを、はっきり覚えています。
だから、社会に出て新しい仕事にぶつかったときも、「あ、これは受験で英単語に詰まったときと同じ構造だな。単体で覚えようとせず、文脈ごと放り込めばいいんだ」——と、自分の型を意識的に呼び出せる。
一方、もともと頭が良くて、あまり苦労せず東大に来た人は、実はここで苦戦することが多いんです。「なぜ自分は勉強ができたのか」を、本人がうまく言語化できていない。
読めば覚えられた、聞けば理解できた——それだけで済んできたので、「詰まったときにどう抜けたか」というプロセスの記憶がそもそも薄い。だから、新しいジャンルに来て初めて壁にぶつかったときに、応用のしようがない。
「勉強はできたのに、新しいことになるとサッパリ」という人が、実は彼らの中に一定数いるんですよね。
だから、僕は保護者の方によくこうお伝えしています。
「お子さんが勉強で苦労しているとしても、それは決して悪いことではないですよ」と。
そこで身に付く「壁の越え方の言語化」は、その後の人生で、勉強とはまったく違う場面で、何度でも役に立ちます。

