永井荷風は当時の彼女だった八重次という芸妓と連れだってプランタンに行ったところ、べろべろに酔っぱらった押川春浪が1階席にいるのを見て、女性連れのところに絡まれてはかなわんと、そそくさと2階席に上がっていきました。その荷風の態度が気に入らなかったのか押川春浪はわざわざ2階席に上がって荷風に絡んでいきます。この事件がきっかけで荷風はプランタンに来なくなりました。プランタンに通った梶井基次郎は三好達治と一緒におおいに酔っぱらって、明治大学の学生と椅子を投げ合う大喧嘩になったこともあります。
ビール150本分の“推し活”に走った菊池寛
カフェープランタンのオープンを皮切りに、銀座の街には次々と新しいカフェーがオープンします。現在も残る「カフェーパウリスタ」は、オープン当時は現在の銀座7丁目、交詢ビルディングの向かいにありました。
斜め向かいにあった時事新報社に原稿を依頼された芥川龍之介や谷崎潤一郎、徳田秋声や正宗白鳥などが一服していったお店です。
広津和郎と宇野浩二は仲良く二人でパウリスタでコーヒーとドーナツを楽しみながら何時間もおしゃべりするという、女学生のような過ごし方をしています。久米正雄が「おれはコーヒーを10杯飲める」と豪語して「じゃあ飲んでみろ」と言われて9杯で断念するという、何がしたかったのかよくわからない逸話を残しているのもこのパウリスタです。
銀座のカフェーといえば、当時そのライバルっぷりで有名だったのが「カフェーライオン」と「カフェータイガー」です。両店とも現在の四丁目の交差点付近にあったカフェーで、どちらの店にも多くの文豪達が通いました。
カフェーライオンでは女給の指導が厳しく品行の悪い女給はすぐにクビにしましたが、そういった女給をどんどん雇ったのがカフェータイガーです。結果カフェータイガーに多くの女給が集まることとなり、お店は大盛況となりました。
カフェータイガーで女給の人気投票という企画が開催された時には、菊池寛がお気に入りの女給に150票を投票して一位にさせたりしています。投票券はビール一本に一枚という、まるで現代のアイドルの握手会のようなシステム。
菊池寛は一晩で150本ビールを頼んだことになりますが、殆ど酒を飲まない菊池は全てお持ち帰りしたそうで、その様を見た永井荷風に「田舎者の本性を露したり」とバカにされています。広津和郎が「婦人公論」に連載していた『女給』という小説に菊池寛の夜遊びっぷりを書いて、怒った菊池寛が中央公論社にまで乗り込んでくるという事件もありました。菊池寛は「婦人公論」の編集者を殴ってしまい暴行事件として裁判沙汰にまで発展しています。
現在も銀座に残っているお店といえば「バー・ルパン」です。里見弴、泉鏡花、菊池寛、久米正雄ら文人の協力を得て1928年に開店。永井荷風、直木三十五、川端康成、大佛次郎、林芙美子らが常連客として通い、戦後は太宰治、坂口安吾、織田作之助らも来店。
バー・ルパンといえば有名なのがカウンターで撮った太宰治の写真。現在でも店内に飾られています。撮影したのは写真家の林忠彦。1946年、ルパンで織田作之助の写真を撮っていた林に「織田作ばっかり撮ってないでおれを撮れよ」と、ベロベロに酔っぱらってウザ絡みしてくる男がいました。
「あの男は一体何者ですか。うるさい酔っ払いだなあ」と林が聞くと「あれが今売り出し中の太宰治だよ。撮っといたら面白いよ」と言われ、それで撮った太宰の写真が林の代表作となったのでした。

