倉敷南高校に進学しても、勉強への動機は乏しいままでした。3年間の成績は350人中50〜60番程度でほとんど変わらず、名のある大学にはとても行けないような成績でした。
そんな宮本さんを動かしていたのは退屈な田舎から脱出したいという一念でした。
「バブルで浮かれている時代でした。親父も儲かっていたのでベンツやポルシェに乗っていたけど、お金で買えるものはたかが知れていると感じていました。そんなにしているわけではなかったのですが、何かしら勉強したら、この退屈な田舎から脱出できるんじゃないかと思っていました」
現役時の模試の偏差値は60程度で、難関校や医学部の模試の判定はEしか取ったことがなかった宮本さん。臨んだセンター試験も8割弱にとどまります。
「地元から出たい気持ちはあったものの、現役時は、岡山大学医学部の学生が家庭教師についていたので国立大学の医学部を2校受験しました。最初から浪人を前提にしていて、受かるわけがないと思いながら受けました」
結果的にどちらも不合格となってしまった宮本さんは、最初から想定していた浪人を決意します。
友達と「一言も話さない」と決めた浪人時代
浪人を決めた理由を聞くと、「やりたいことを考えながら受験勉強するため」と答えてくれました。
「最初から浪人するつもりで受験していたので。行くところがないし、浪人しながら今後のことをゆっくり考えようと思っていました。志望校も特に決まっていませんでした」
そう考えていた宮本さんは、大阪の全寮制予備校・両国予備校(河合塾系)に入ります。浪人生活に入ってからの宮本さんは「友達を作らない」というルールを自分に課して勉強を重ねました。
「高校の時は、仲良くもないのに、なんとなく仲良いような感じの友人関係が気持ち悪いと思っていたんです。それで浪人したら友達は作らないと決めていました。結局夏休み以後くらいに友達はできたのですが、言葉を交わすくらいにして孤独であることを守ろうと思い、夏過ぎくらいまでは実際に誰とも一言も話しませんでした。修行僧みたいに、一人で予習して授業を受けて復習の繰り返しでした」

